私たちは「教会に行かない理由」を色々と挙げますが、同じ理由を「洗濯」に置き換えて考えますと、実におかしなことになります。つまり、人は礼拝出席を論じる時、いかに非論理的になるかということです。
洗濯をしない10の理由
①子供の頃に洗濯を強要されたから。
②特別な日だけ洗濯する。クリスマスとかイースターとか。
③石鹸にも色々あって、どれが一番いいのか判断できないから。
④私の知り合いで洗濯をしている人はいないから。
⑤洗濯場は冬は寒くて、夏は暑いから。
⑥年を取ったら洗濯を始めるつもりだ。
⑦洗濯をする時間がない。
⑧洗濯場は遠い。
上記の理由により私達は洗濯をしないでしょうか?
「神の国と神の義をまず求めなさい。そうすれば、これらのものは全て添えて与えられる」 聖書
元旦の朝(日曜日)、礼拝を捧げようと教会に向かう道中、元旦早々にガレージセールをしている人達がいました。心の中にとても残念な思いがわきました。それは「もったいないことしているな~」という思いです。「キリストにある無尽蔵の富」が「ペティ・キャッシュ」と引き替えにされている様を見たからです。
わたしの一週間の努力から生じる実は実際、たいしたことはありません。最重要なことは天来の力がどれだけわたしの上に注がれるかということです。一週間の最初の日の朝、まず主に礼拝を捧げるということは全ての土台です。礼拝で私達は心の「洗濯」をして、その1週間の優先事項を「選択」して歩み出すのです。
マック
追伸:上記の「洗濯のはなし」は以前、なるほどとノートに記していたものですが、出目がどこだか分からなくなってしまいました。「希有な観察眼をもつ作者」に感謝します。

あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
洗濯に置き換えると楽しくて解り易いですね!! FBでシェアさせて頂きます~。
投稿情報: Seto | 2012年1 月11日 (水) 08:51
Setoさん
おかえりなさい!こちらこそよろしくお願いします。今年こそ、こちらにお越しのさいはランチでも!
投稿情報: マック | 2012年1 月11日 (水) 19:01