私は空手を習ったこともないし、全くの素人です。しかしながら息子の道場に同伴しているうちに色々なことを教えられるようになりました。
1)白から始まった帯が、黄色、オレンジ、緑・・・、そして黒となり、その先にも段がある。これは自他共に分かりやすいシステムであり、その道は一つ一つの過程を飛び越えて次には進めないという説得力がある。最近は全てがインスタントの時代。この゛一歩一歩゜はとても大切なことであり、それを体で覚えさせていただくということは、とてもありがたいことです。
2)素人目に見て、きれいだなという型も、先生が見れば、必ず無駄な動きがある。無駄な動きとは焦点のずれた動きで、「突きや蹴りが一センチ高い、三センチ右寄りだ」という類のこと。しかし、よくよく観察していると、それは型の美しさのためだけではなく、そのずれによって、突きや蹴りの力が失われてしまう、だからこの空間のみに打ち込むのだという、既に確立された身体論がその背後にはあるようだ。
意外に思われるかもしれませんが、聖書中のパウロという人も「拳闘」について触れており、その的確、無駄のない言葉を読む限り、けっこう、この世界を知っている人であり、今日的に言うならばUFCなどを観戦し、銀幕腕十字などにコメントを残す人であったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか (「いかかでしょうか」って言われても困りますよね 笑)。
しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。(聖書:コリント第一の手紙9章25節-27節)。
万事につき、目標のはっきりしない走り方をせず、空を打つような拳闘はしたくない・・・。ズバンッと決めたいものですが、これがなかなかね・・・。
マック
おまけ:SENSEIは竹刀をもち、それで手足のずれを指摘し、生徒に「うさぎ飛び」をさせます。日本ではもはやお目にかかれない、このような昔懐かしい光景をサンディエゴのイラン人の先生によって、見させていただき光栄に感じております。
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